睡眠+食事+家事+仕事+趣味=全ての時間
もし仮に、この数式が成り立つとして、どのような時間配分をしたいのだろうか?
睡眠は幸せだが、趣味のほうが優先。しかし、健康を維持する程度には寝たい。
食事は、たまに美味しいものが食べられれば、他にこだわりはない。
ちなみに皿洗いはするが、調理行為はほぼ行わない。これは10年以上そうだ。
家事には、ほぼ時間を使っていない。部屋は荒れ放題である。
洗濯は好きだ。
仕事は、必要な気もするし、必要ない気もする。
食べていける賃金と、社会に貢献している自負、やや少なめの人脈があればいい。
でも、たまに楽しいと感じるときもあるが、全体的にサービス残業、休日のサービス労働が常態化していることは良くないと思う。
趣味は、楽しい。特にも一人でやることが好きだ。
まとまった時間が取れたり、使える金が増えれば、もっともっとやりたいことが出てくる。
しかし、細切れの時間とわずかなお金を使っている今は、たまにマンネリ感を感じることも…。
あと、趣味はお金がかかるから、あまり時間がありすぎると貧しくて嫌になることもある。
ここまで検討して気付いたことは、「時間」について考えることは「お金」について考えることだ。(当たり前)
そもそも、時間を労働によりお金に換えて生きているのだから、金がもっと欲しいなら、もっと稼げ。もっと自分の時間を増やしたいなら、お金があれば選択肢が増える。
自分の能力と提供する時間と頂戴する金銭を天秤にかけてまぁまぁ納得(満足ではない)できるから今の仕事をしているのだろう。
つまり、給料を増やしたい場合は、能力を高めるか、時間を多く費やすしかない。
時間とお金が大事なんだから、能力を高めたいと考えるのだが、例えば国家資格を取るには、時間も金もかかる。
また、資格でなくとも勉強するには、多くの時間を要する。
こう考えると、賃金、時間、能力はトレードオフの関係にあり、それを人生を通して好きに配分しなければいけないのだろう。
このような諸問題が発生しないのは、「仕事をしているときが一番幸せ」という状態だろうが、それは所得が低いか、ドMか、勘違いであることは間違いない。
基本的に他人が金を払ってでも手にしたい、資産の譲渡か役務の提供により金銭を手にするだろうから、つまり、嫌なことか難しいこと。
その価値を生むには苦労が無いわけない。
あくまで人並みの能力を有する人間が、自分の好きなように生きたいと思うことは難しい。
苦痛への耐性が強い人間は、それだけで素晴らしい才能だ。
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