今の、50代半ば以上の年齢の方々は強い。
非常に元気だし、自分に自信のある人も多い。
だが、たまに間違っている人がいる。
仕事を無限に突き詰めることを人に要求する人だ。
以下は、持論。
仕事は生業であるし、ある程度尊いものだ。
仕事は社会貢献という側面が強いし、基本的に社会善だ。(そう誤解することが大事だ)
自分の社会人としての使命を強く感じることも自由だ。
しかし、それを人に要求してはいけない。
お客様、会社は自分の生きることの源泉であるから大事にしなければいけない。
しかし、そのことの目標が無限大になって自分の全てのものを費やさなければいけないわけじゃない。
どこまでも、突き詰めて仕事をすることはその人の自由だが、それを他人に強要してはいけない。
そもそも人は限られた時間の中を生きていて、その中でどう生きるかは基本的に自由だ。
犯罪を犯せば罰せられるし、人と同調しないと生きにくい。
それらのことや、個人と社会のバランス感覚は大人だったら当たり前に知っていなければいけないが、最終的には個人の判断である。
その中で各々が自分の価値観、特徴、能力、環境など様々なものの天秤をなんとか成り立たせて生きている。
家庭が忙しいかもしれない、自分の時間が大事かも知れない、いろいろある。
それらと仕事はあくまで同列だ、仕事が偉いわけじゃ無い。
だから、労働環境というものは法律により上限を示し、それを強要させない仕組みになっている。
じゃあ、それなりの労働をすればいいのかと言えば一概にそうではない。
それは仕事により価値を創出しなければ、顧客は消え、組織は崩壊するからだ。
だが、一人一人違うから、価値を多く生み出す人もいれば、そうでない人もいる。
その点で、価値を生み出す人の貢献は評価されるべきものだが、そうでない人を貶したり、仕事を強要したりする権利は一切無い。
例えば、50代で夫婦とも高給取りで金があり、子供もいないから自分の自由な時間が多く作れる人がいたとして、その人は他の人よりは環境が安定した人だ。
その安定した環境を地盤に仕事を頑張れば成果が出やすい。
他のことに煩わされないから当然だ。
その人が頑張ってることは偉いし、ありがたいと感じる。
しかし、人に「お前の限界を見せてみろ」みたいなつまらないことを言う権限は一切無い。
その点に於いて、多くの荷物を背負って、地盤も安定していない人は不利である。
ただ、それだけだ。
子供でもわかることがわからなくなる、そんな人も少なくない。
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