きれいな数字が知りたくて考える。
だが、美的感覚はフィーリングに依る部分も大きく、考えることをやめる。
そして、頭の中で並ぶ数字はいつもきれいではない。
きれいになろうと考える。
それは、表面的に美しくなりたいという願望。
若い女子はもちろんのこと、年老いた男性にもある感覚。
もう少し痩せたいとか、かわいい服が着たいとか、いろいろ。
それらは必ず人から見られることを前提にした発想であり、精神の具現化でもある。
言ってしまえば、メガネからコンタクトに替えて、「ホントのワタシ、デビュー!!」状態である。
春になれば人は変わる。
死の危険すら伴う寒い冬を乗りきり、すっかり安心して寝たら起きたくなくなる。
外を見れば鮮やかな花と、新生活に意欲充填した様々な人の様子。
それを見ていれば自分にも何か起こるんじゃないかと夢想する。
そんなわずかに心躍る季節も80回程度しか巡ってこない人生。
80回といえば、毎日3食たべる人間の1ヶ月の食事回数にも満たない。
人の生きる時間はそれほどに短く、何かをなし得るには足りない。
それが、非常に公平なことだと思うが、寂しいときもある。
そういった相反する感覚を両方もっていられる、ちょうどいい時間。
きれいになろうとした結果は造作的だが、その意識が消えたあたりに自然になるちょうどよさ。
春の時はゆっくりと流れるが、何かを考えるには遅すぎる、そんな季節。
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