いつも思うことがある。
おれは生きている訳で、その中には様々な経験というログが蓄積していってる。
だけど、それって意外に簡単に忘れてしまうことだから、自分のために日記を書いていた。
それが本来のテーマである。
忘れないように、思い返せるように。
しかし、いつの間にか書かなくなっていた。
じゃあ、書かない生活に慣れた今、日記を書いていた時と比べて何かが劣っているのか?
結果、間違いなく考える能力は低下しているし、生きることに対するポリシーみたいなものも薄くなっている。
だが、それ以上に忙しいこと、面倒なことが前提条件にあるから、それでもいいかなんておもってしまう事がある。
これが簡単に言うと大人になること(消耗しやすい社会環境への適応)なのかもしれない、一部ね。
だけど、やっぱりそんなの嫌だから、書いてないけど、何をしてきたかって言う簡単な情報はケータイに記録している。
それを記事にしていないだけである。
つまり、このままここに残さないと、いづれケータイが壊れるか、俺が無頓着になるか、どちらかの理由でここは永遠に更新されなくなる。
それは避けたい。
ここに残した文字を最終的に活かす方法論もあるし、未来予測もある。
だから、がんばる、いつかがんばる。
よのなか不正とか横領とか詐称とか目の前で嫌なことがたくさん起こっているけど、そんなのにびくともしない仕事の仕方、必要だ。
優しさなんて嘘だし、そんな嘘でできた橋を渡って生きることにも全く興味が無い。
人に振り回されない生き方、難しいけど、頭抱えて一生生きるよりは、考えて実行してみた方がいいんじゃないか?
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