適当に本読んだりしてるんですけど…。
たまたま共感する部分あったんでいい機会です。
そろそろ限界です。
崩れます。
じゃあ、ぼやきます。
なんか、毎日部屋の壁をペンキで塗り変えるみたいな毎日です。
なんか変わって変わってわけ分からん。
とりあえず、道を踏みならして、それにより広がった道をさらに。
円で考えても分かるように、一つ埋めるとより多くの隣接する面積が生まれます。
未開の面積は増えていく一方でいびつなんです。
たまに、それを俯瞰してしまう時があって今まさにそれ。
怖いです。
最近は恐怖からペースばかりが上がっていき、未開の地が増える。
仲の良い友人と話していても自分を殺してしまいます。
それは、何を言ってるのかわかんないから。
たまに世界が歪みます。
ものの受け止め方が違う。
根本的な解読法の齟齬が…。
思ったことを話すと、「それ、違うでしょ。」、「それって悲しいよね」
そんなことを言われてしまいます。
さも、当たり前の共通認識のように。
自分の中では最良の道だし、論理的に納得させられる自信もあるけど、嫌悪感を抱かれる話題を続けても仕方ない。
もし、説明したとしても、「分かるし合ってるけど、ボクは違うと思う」と返されそうです。
なんだ、その感性。
そもそも感性なんてものは…、グダグダ語りたくなります。
合ってるものは合ってますよ。
一度違えた道はなかなか交差しないものです。
人は低きに流れますが、その支流で分かれてしまったかも。
自分の正当性を追及する。
最近のボクを動かす、最大にして唯一の原動力になってます。
自分もうまく出来てないけど、ちゃんと見ましょう。
自分を守るフィルターもかけ過ぎると、何も見えなくなりますよ。
ボクは見たくないって言う人に、自分の見せたいものを見せるエゴイストです。
それを知った上で、止められません。
人が死ぬ、またはそれに類似するような行為は、悲しいですけどそれは大きな比率を占めることは無いと思います。
その人の人間としての顛末を、その人の人生を認めたうえで慈しむ。
それは良くやったと言う好意的な感情です。
その人は今まで生きてきて、そして死んだということです。
悪く言えば、何も無い。
人の人生を勝手に自分の枠に当てはめて泣くことは、本人が無視されて失礼じゃないでしょうか?
思いを行動に移さずに諦め、あとから事あるごとに「あの時は恋していたなぁ」と思い返すことは、美学があり、一生浸れる子気味良い感情を残すだけで、悲しくは無いです。
最高の酒のつまみです。
そしたら、かつての詩人が人から離れて人を思うと言う行為に意味は生まれません。
挙げだしたらキリが無い。
刹那的な鬱症状じゃなく、根源的な価値観です。
一月経ったら収まるような状況じゃない。
どうしようか?
だらだら悩んでいきますか…。
はい、そうしましょう。
だから、自己アピールしようと考えたのかも知れませんね。
まずは、足を止めないことを目標に。
友人は大切であり、それを否定する意思はありません。
自分の考え方が違うと言う例を挙げるための引用です。
前から、そして今も大好きですよ。
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