時代は新世代型のセカチューを求めていた。
それがわかった。
知人(あくまでただの知り合い)が感動した、涙流したと言ってたから最近の感動の対象とは何かということで調査しようと思い手を出した。
等身大の恋を描きたかったんだろう。
華やかさのない日常。
しかし、これは映画。
あくまで映画的な見せ方で地味で幸せな日常を描けなかったのか。
それはやはり今の観客には華美に映ってしまうんだろうか?
そんなこといったら映画ファンとのギャップで何を作ればいいのだろう。
これは明らかに見るほうの責任問題。
エンタメと芸術の狭間で興行収入を生み出さなくてはいけない作り手大変。
点数は61点。
3流自主製作映画、豪華版。
へたくそではない、消費者層が違うだけだ。
困ったことに普通に生きられて幸せって感じが多すぎてイライラ。
日常を幸せと感じるのは、その日常すら手に出来なくなってしまった人たちにとってのみである。
普通の人(普通の意味に悪意はありません)には当たり前であり、それに満足することなくよりよいものを目指す姿勢が人間の生活水準を向上させてきたのではないか?
だから毎日生きてるだけで幸せと感じながら、毎日をすごすことはマイナス要素多いんじゃないかな?
基本的にがっついてない人嫌いだからね。
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